Homeページへ

2009/1月
2007/7月以来のホームページ更新である。
久々の更新でソフトの使い方も忘れ(忘れるのが早くなった)マニュアル片手に始めた
進めていくうち思い出していくのだがチョト前にやったことをもう忘れてしまう
ああ!やだ 面倒くさいが一々メモを付けていくことにした、これで、マニュアルで探しながらの
作業からは開放される。
ホームページ更新は挿絵が主になるが付合わせる本、雑誌を見ながらの作業になる最初は家に
有る物で探せたがソロソロ資料不足となってきた 本人は居ないし昔しのことなので分かる人も居ない
どこで打ち切るべきか多いに悩む、そんな時講談社の週刊現代編集部の方から倉庫から
挿絵が見つかった返却しますと連絡が在り、その後で当時の週刊誌とコピーしたものをもらいました。
編集部の方に感謝。
これで川内康範 「虫けら」の挿絵が揃っていることがわかる
全てこう在るべきだが・・・
他の挿絵を見るとヤル気が失せて行く、暇な時に古本屋でも回ろう!

●ホームページを作るきっかけ(2006/11月)
娘が結婚する、アルバムの写真を分けようと、アルバム整理を始める。
だが20数年経った写真は変色し始めていた、糊付きのアルバムは貼りついて剥がれない。
無理に剥がすと破れてしまう。
いっそスキャナで撮りデジタルに変えて、CD-Rに焼いて子供達に渡そうと思い、
撮り始めたのが4,5年前だった。

子供たちの幼いときを思い出しながら、写真を修整してゆくのはなかなか楽しい作業だった。
1年位で子供たちのアルバム整理は終わり、20冊以上あったアルバムがCD-R2枚に収まった、凄い!
結婚した娘には結婚式の写真と合わせて、アルバムの代わりに2枚のCD-Rを渡した。
これは、いい! 他のアルバムもデジタル化して棚を整理しようと決めた。
まず自分の幼い時の写真から、結婚式や両親の風化した写真。
保存の仕方が悪かったのか!
スキャナの周りは風化した写真の屑がたまる
スキャナのガラスを拭き、周りを掃除しながら慎重に作業を進める。
思い切って、風化したアルバムと写真は捨てることにした。

アルバムのデジタル化も1年位で終わり、
占領していたアルバムも大事な写真だけを残し数冊になり、大分スッキリした。
CD-Rは6枚に収まった。
スキッリした棚の片隅に立てかけた。「芳名帳」とたくさんの付箋が付いた薄い数冊のアルバム。
そのうちに!と30年が過ぎた。ずっと手を付けず引き伸ばして来たのだ。
いよいよ手を付けるしかない!
私の父、土井 栄の絵の「目録作り」である。
私自身、父が書いた絵がどれだけ有るのか把握していない。
自分のためだと言い聞かせ、パソコンに向かう。
しかし、困ったことに、殆どの絵が売れているのだ。
原画がない以上、現在ある写真からしか判断することが出来ない。
その写真も、私が高校生の時に写した物や、個展の時に画廊で写した写真。
斜めに写ってガラスに他の物が反射しているものなどetc。
最初から挫折しそうで暗い気持になってくる。
そして相変わらずの変色(40〜45年前のカラー写真の色抜け)
スライドフィルムにはカビが生えている!
始めたことを、後悔する!

画像修整ソフトPhotoshopで1点づつ時間をかけて歪みや、
色、など直してゆく、なかなか大変な作業で原画がないため、
どこで完成とするか迷う。
修整しながら整理していくうちに、絵の題名と画商の名前はあるが写真がない物。
絵具が乾かないうちに画商が持って行ったのだろう。
他、絵の題名がない物、油絵の大きさ(号数)がない物。
そして、何時書いたのか年代が判らないものと、いろいろ出てくる。
思い出そうとするが昔の事で判らない。
とりあえず同じ書き方の絵を見て判断することにした。
私の記憶の最初にある、中野のアパート時代から始めることにした。
父親があの狭い部屋で絵を書いていた時代だ。

中野のアパートの思い出(1953〜1960)
今でも中野駅のホームから見える4階建ての古い住宅だ。
住宅供給公社の鉄筋コンクリートで7棟ある内の
6号館の2部屋、6畳と4畳半、トイレとベランダ付きのアパート。
4畳半を父はアトリエに使い、6畳を家族4人と親戚の1人と暮らしていた。
その6畳の部屋も時に、原稿を待つ出版社や新聞社の人たちの応接室に変わる。
夜遅くともなると寝る場所がなくなる、まだ小学生だった私と妹は、部屋の隅か、
狭い押入れで仮眠を取ることになる。
今考えると大変な(貧乏)時代だったが、何も私たちだけでは無い。
中には3世代(7〜8人)が一緒に住んで居る所もあった。
皆、貧乏だった、尻あての付いたズボンは当たり前、
あて布した服や、編み直しのセーター、殆どが母親達の手作りだった。
給食はお決まりの脱脂粉乳のミルク、肉は鯨。
私は脱脂粉乳のミルクは好きで、ミルクを飲めない子の分まで、
先生に内緒で飲んでいた。

たからしげるの小説『ラッキー・パールズ』に登場してくる中野住宅の話しは、
同じ時、同じ場所を過ごした人間にはとても懐かしい話の小説だ。
私達も小説と同じに様に、中野警察学校のグランドに忍び込み、遊んでいた。
ただ、『ラッキー・パールズ』は野球少年の話しだが。
私は模型を作るのが大好きな少年、よく模型屋さんに同じアパート友達のH君と
模型のセットを買いに行き、時間をかけ、吟味して買ったのを覚えている。
プラモデルと違いその頃は木片を大雑把に切って、ある程度それらしい形に切りそろえ
作り方を書いた紙がセットで売っていた。
それを小刀「肥後守」やサウンドペーパーなどで形を作り
セメダインなどで付け、塗装して完成!
だが、思い通りに出来きない、削るうちに段々と形が変わってゆく
少しだけ?違う物となって出来上がる、それでも満足感に浸ることが出来た。
その内にテレビが家庭入って来て、中野駅北口の街頭テレビを見に行かなくなり。
模型作りの時間も段々とテレビの時間に変わっていった。

そんなことを思い出しながら、いよいよフィニッシュに向かう。
最後にどう纏めるか考えた、一ッは、検索しやすい様にExcelで作り(自分用に)。
一ッは、誰でも見られる様にと電子画集にすることにした。
ある程度出来上がるまでに一年半かかった。
ほぼ、出来上がった物を父の絵を持っている、友人であるH君に見てもらった。
しばらくして、飲み会で会ったH君にホームページに載せて見たらと言われる。

そうだ!ホームページなら画集の代わりに見てもらえる。
ホームページなど全く考えに無かったのだ。
よし!やろう、ホームページを開こう。
早速!ホームページ制作ソフトを購入してパソコンに向かったのが
2005年秋も過ぎた頃だ、すぐに出来ると簡単に考えていた!

『ラッキー・パールズ』 たからしげる著/(株)スパイス 2005/9月発行 ¥1470